観念的れじすたんす

彼は反乱分子だった。抵抗活動家だった。
しかし、問題は彼の敵はどこにもいないということだった。
体制も宗教も資本主義も家族も差別も、崩壊させるほどの害悪を撒き散らしているとは思えなかったし、自分がそれ以上の恩恵を受けていることを彼は認めざるを得なかったからだった。
しかし、彼は反抗しつづけなければならなかった。反抗はいつしか、目的から状態にすりかわっていった。最初は的を探しまくって、当たり構わず戦いつづけたが、いつしか彼の抵抗は観念的・精神的な抵抗へと変わっていった。そこに敵はいない。そして、敵がいない戦いに終わりはない。彼のレジスタンスは行動ではなくなり、永続的な状態として彼を呪縛した。ただ一つ、彼がレジスタンスであるという象徴的なラベリングによって、彼は死ぬまで反抗しつづけるはめになった。まだ彼は東京のどこかで闘い続けている。革命の闘士であるとか、永遠の反乱分子であるとか、適当な名前をつけてあげれば彼は喜ぶかもしれない。もちろん、彼に敵を与えれば・・・・明確で強大な圧倒的悪としての敵を与えれば、彼は狂熱をもって戦うだろう。だが、そんなものはどこにもありはしないのだ。彼はおそらく満たされないままに死ぬだろう。れじすたんすの名とともに。